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9月, 2021の投稿を表示しています

能動的な生

  私はとても自分に甘いと思う。 結局、私の場合死に向かおうとするのも楽だからにすぎなかった。 生きようとする、特に一人で生きようとする形に上手くなりきれないから、かといって一思いに死ぬことも出来ないから、転がり込むように、ただ自分をひたすらに悪化させることだけをしていた。 前までの感覚として興味深い感覚が一つある。 自ら憂鬱や離人感の海に飛び込むような感覚だった。 敢えてひどくなる行動を繰り返して、敢えて嫌なことを思い出して、敢えて描きたくない絵を描いて、それの目的は自己を破壊することだった。 破壊したら死ねると思った。理性が吹き飛ぶ瞬間を心待ちにしていた。 それでも私の理性が案外強くてなかなか破壊できなくて、それでも日増しに酷くなるからそれを喜んでいた。 よく考えたら一転して生きようとしているのだからめちゃくちゃに難しいのも仕方がないのかもしれない。 罰だと思う。自分と人生を蔑ろにした罰。今受けている。たぶん年単位で続くことと思う。 いまは"生きること"を全身で受けなければいけないことが怖い。 でも覚悟できたことが嬉しい。すごく長かった。 なんとなく生かされて死にゆくのではなく能動的な生きるとはどんな色をしているのか知りたい。

呪い

  用が済んだので今日が大阪最後の日だ。家はまだ準備できていないけど北海道のホテルに泊まることになる。 これが終わりじゃないことは分かってる。むしろ始まるから覚悟しなければいけない。 支配についてすごく考えていた。 ここから書くのはこれは私の未成年の頃の話なので、書く必要があるのかわからないけど、私を見てくれている未成年の子に同じ目にあってほしくないと心から思うので書いてみる。 親と不仲の時があった。今よりはマシだったけれど、病院に連れて行ってもらえなかったことや、罵られたことで完全に心を閉ざしていた。 親は発狂寸前という感じで家に居場所がなく、ネットの匿名サイトで寂しさを紛らわしていた。(2ちゃんねるではない、もう少し治安の良い掲示板サイト) そこは、ここからまず大問題なのだが、私のような問題を抱えた未成年と、未成年好きのおじさんの集まりだった。出会いは禁じられていたけどほぼ無法地帯で、散々TwitterやらLINEやらの交換が行われていた。 なぜ問題のある未成年が狙われるか。生理的嫌悪や世間体を無視してでも寂しさを紛らわせようとしてしまうから。かつ、虐待を受けている子は親の代わりになりそうな人を心理的に求めてしまう。それに"下心を持ったおじさん"はピッタリだったりする。 私もそのひとりだった。 あまり詳しく書きたくはないので軽く書くけれど、とても奇妙だったのが、性的な要求はしてこなかった。数回匂わせるような発言があったし顔写真をしょっちゅう要求してはいたけれど。 それより問題だったのが支配。 今ならどれだけおかしいことなのかわかるのだけど、何か起きるたびに言わないといけなくて、後から言うと「なぜ言わなかった」と怒るのだった。 何か起きたらすぐに言えと教え込まれていた。 今何してるか、どこに行くのか、いつ寝るのか、2時間でも返事があくと怒られた。 異様そのもので、こんな人に誰が引っかかるのだと思うだろうけど、私のように親の支配に慣れているとこの程度の支配でむしろ安心してしまうので、面倒くさいなあと思う程度だった。 面倒くさいなあと思いつつやってしまうのが異質なところだった。 読んでくれてる子がいるかわからないけど、未成年の特に女の子は、そして心に問題を抱えているのなら尚更、ネットと下心に気をつけて………一時的な寂しさの緩和の代償にしては大きすぎ...

支配下

  体と心が支配下に戻ろうとする。 いろんな感情を食い潰すようにひたすらに管理下に居ようとしてしまう。 昨日書いた罰が始まった気がする。思ってたよりはやく訪れた。 頭が全く回らない。脈も遅い。永遠に眠れる。 帰りたいとは思っていない。ただ今までの愚行を考えていた。 もう支配下 管理下にいること以外での安寧を得られないのだろうか?そういう脳になったのだろうか? 早かったんだろうかと思ったけれど、その観点から行くと遅かったんだろうか。 安寧は訪れないんだろうか。この先。 1人で立つことは可能なんだろうか。 無気力に苛まれている。 自分の愚かさを思い知った。どれだけ叩き込まれているか。 頭を支配している「お前は1人じゃ生きていけないよ」って誰の言葉なんだろうか。

自己像

  気分の波に説明がつかないと思っているのは他人だけだ。私の中にはちゃんとした理屈も流れも存在している。これを経験してなお同じように行動するのならそれこそ化け物だと思っている。結局化け物ではあるけど。 医者のカルテにあった「全てを親のせいにしたがる傾向がある」という言葉を思い返して笑っていた。あの人を信じていた時間があったのが馬鹿みたいに思える。 例えばこういう時ばっさりと自分の中で期待や信頼が途絶えるけれどそれが極端だと感じる人はだらだらとその人に期待するんだろうか。少なくとも期待しているような行動を取るんだろうか。 心が伴わなくても行動だけでも切ってしまおうとしないのはなぜなんだろう。その人はもう私にはいらないのに。 親のせいにしたことは今までなかった。ただ、純粋にこういうことを言われた、こういうことをされていると伝えることが「親のせいにする傾向」なんだったとしたらどれだけ虐待が減るんだろう。 もう顔も見たく無いのだけど明日見に行かないといけない。 もうどうしようもないところまで自己がどろどろに溶けていたら環境が変わっても無理なのではないかと少し危惧している。 久々に自分自身を垣間見たのでとても気分が悪い。日頃から見抜いてる人気分悪くないんだろうか。 世間の人間に私のできうる限りの綺麗を提供する意味について考えてしまったらもうどうしようもなかった。笑った方が反応がいいので笑うことにして、意見は言わないで、相手を持ち上げて、共感して、そうやって世間にしがみついてどうにか悲願するようにしてついて回る意味って何なんだろう。 愛された気がするんだろうか だとしたら救いようのないところが増えることになる。 正式に診断されていないものの私をよく知っている人たちが境界例じゃないかという話を否定しないのでその傾向にあるんだろうとぼんやり考える。 死亡率高いやつばっかり集まるね。結局自分の精神に殺されるんだろうか どうせそこまでいけないことも何となく察しがついている。 今度はどう感じているのかしつこく聞くからやっと絞り出した「死にたい」に「色々買ってあげたのに」と返ってきた夜のことを思い出している。 本当に、死にたいなんて考えたことのない人間のセリフだと改めて思う。一ミリたりとも思ったことがないんだろう。 私はそんな人間の方が恐ろしい。こんな世の中なのに。 そしてそうやっ...

近況2

  なんだか急に物事が進んだので書いておこうと思う。 住居が用意されるのは25日だけれど、引っ越しの手配は宅急便で何とか出来そうだということが分かった。 家具も今日用意した。服はもう揃えてある。 そうなるともう大阪でやることは実家周辺でのちょっとした作業と梱包作業だけになる。 渋っていても仕方がないので明日実家に帰って全てを済ませ、手荷物の整理をして、書類が届き次第神戸から北海道へ行こうかと検討している。 詰まっていたものが急に動き出すので混乱する。まだホテル暮らしは続くけれどでもこの地に居なくてもよくなる。 長かった。本当に。 出来るだろうか。明日が急に忙しくなった。 電車乗れるだろうか…パニックを起こしたのでその日から乗っていない。 でもあともう少しと思うと楽になる。 今日出来ることはもう無いので大人しくしてようと思う。

斜陽

  ただ一切は過ぎていきます。 人間失格の好きな言葉。引用したわけじゃないから表現が違ったかもしれないけどこの形で染み付いている。 余儀なくされたとはいえこんなに長く休んでいたことあっただろうか。無いと思う。 私は6年前にかなり強い発作性の目眩を発病したのだけど、(耳鳴りだけを残して治った) その時でさえ這いつくばって描いていた。本当に。 あるいはベッドサイドに水彩絵具と紙を置いて起きられることを確認したらすぐに描いていた。 その頃の絵は残っていたり残っていなかったりするのでとても勿体なく思う。特にノート丸ごと一つ無くしたようなのだ。 その頃は本当に地獄みたいだった。病院に連れて行ってもらえなかったので。 どういうわけか目眩が家の中でタブーになっていたので眠たいということにしてベッドとリビングを行ったり来たりしていた。 母はブログ等に私の目眩について書いていたので知らなかったわけではないのだけど、どういうわけだかタブーになっていた。お互いそのことを口にしなかった。 強く罵られたから何も言えなくなったのだが、表面上隠さなければならないとなると目眩に対する恐怖は増すばかりだった。 ふらつくだけなら良かったのだけど、本当にあの時は立てなかった。左に体が引っ張られてそのまま地面に吸い込まれる。ベッドにいても体勢を変えるとものすごく気持ち悪かったのでただ上を向いて顔を動かさないようにしていないとならなかった。 そしてそれは前触れもなく急にやってくるので、一番ひどい時は目眩がなくてもベッドの上でそれが起きるのを待っていた。 それが覚えてる限り1年ほど続いた。 長くなった。その時さえこんな長く休んでいた覚えがない。 目眩発作は2時間くらいだったのでその間を縫って描いていた。 載せてもいなかったけれどとにかく描いていろんなところに飾って、その時間が好きだった。 今もデジタルの仕事を進めてはいるがたのしいのであんまり勘定に入らない。 今気づいた。別に休んではいなかった。無理をしていないだけで。 ともかく、無理をしないということが自然にできているのですごく感動している。 相変わらず不安心は持ち合わせているけどそれでも穏やかだ。毎日焦るような感じがないのでとても楽に居ている。しみついた"しなければならない"が少しずつ剥がれてきた。こんなに楽で生きていて良いのかと思うほ...

錯綜する

 少し忙しかった。しばらく書けそうにない感情に苛まれていた。特に悪いものではないので割愛する。 相変わらず聴覚過敏がひどくなったままだ。 でも精神状態は最悪のところから持ち直した感覚がしている。気のせいなんだろうか。他者から見るとまだ錯乱したようなものなんだろうか。 もし仮にそうだとしてもそれが私の核であるとしか言いようがないと今思った。 取り繕うことに長けているだけで中身はめちゃくちゃに入り乱れて、保つこともできずに震えて倒錯すらしているのが実体と最近知覚した。 自死に向かおうとしたり体を傷つけたり諸々の事も今までの抑圧からの反動であり決してストレス反応ではないのかもしれないとも思った。 25日に家が手に入る。今日は引っ越しの手続きを進める。 いよいよ一人になる。いろんなことを考える。 まあ今も一人だけど。 ぐるぐるに考えさせられてひたすらに憂鬱になり死を感じて、今は逆に静まり返っている。 全身でぶち当たったのは間違いじゃなかったのかもしれないと今やっと思える。 この長い時間になんの意味がと考えていたけど多分今までの自分との決別の時間であったと思う。 完全に切り離すため。まだ揺れるかもしれないけど、それでも過去と今はもう別なんだと脳に理解させるためのしきり。 色々と難しく考えすぎていたと思う。今は少し楽観している。 もう、何か思われることはないのだから、思われたとしても知ることはないであろうと思うから、それならもう生きてさえすればいい。 めちゃくちゃになっても仕方ない。生きる能力がないのだから覚悟している。 またホテルで世話してもらっても良いし何だったら入院させられてもいい。生き延びさえすればまた絵が描けるから。 もう生き延びること以外考えなくてよくなる。あともう少しで。 実体について考える。これに関しては複雑なので理解されるか難しい。 抑圧され指示され矯正されて安全な無害な大人しい何かになりきることができていたのだから、そのままいるのが安全ではないかとふと思った事もあるけど、結局私は自分を愛しているから、あるがままの姿を見たいと渇望している。 それが所謂普通から遠ざかり病気の形であろうと、隠され奪われしてきた自己像というものにとてつもない関心がある。 描くのも結局そこからきていると思った。自分を垣間見るのが好きだった。 醜くぐちゃぐちゃの自己像を美しく昇...

憂鬱

  ツイートするとタイムラインを荒らすので逃げてきた。乱雑なので読まなくていい。 一転して憂鬱になった。 認めたくないけれどやっぱり何かおかしいと感じる。 家出する前から一転しがちだったけれどいざこざが引き金になって悪化したような実感がある。 今日のきっかけはフラッシュバックだった。 大阪駅の印象は全く良くない。連れられ、言われるがまま、何の自由もなく歩いたことしかなかった。 あの陰鬱なホームは不自由さの象徴であり、無闇矢鱈に広いのも本当に気に入らなかった。 そしてたくさんの思い出が流れ込んできた。 母親が隣にいるみたいだった。 それを苦しいと思う自分も嫌だった。 絶望的なまでに気力がない。どうせ2日も経てば奇妙なほど復活するんだろうと思うけれどこの浮き沈みにもとても疲労している。 今は胸を引っ搔き回されてるような感覚がする。 まっすぐ立てずに揺れている。 前から、追い詰められた時に、「死にたい」ではなく「このままでは生きられない」という感覚がある。 自分の精神に殺されるような。あるいは街や環境に殺されるような。 決して望んでいないのに押しつぶされて破裂してしまうような覚えがある。 でも結局のところ中身を打ち明けると駆り立てられているだけにすぎなかった。 自傷欲求があるのでわざとフラッシュバックの内容を書こうと思う。 お願いだから一人にしてくださいと親に頭を下げて泣きながら夜家から出てきた日のこと。 あの日が本当に怖かった。騙して家出した当日の次に怖かった。 父親があんなに不気味だったことはない。 散々、私が泣き喚いて一人にしてと言いお願いだからホテルで生活させてと言いやっと出てきたのに、5分もたたないうちに「送り迎えさせてほしい」という電話をかけてきた。 気が狂ってるんじゃないだろうか。 夜だったのは確かに危ないかもしれないが徒歩圏内のホテルだと言っても送り迎えすると聞かなかった。 その上で、どこのホテルか聞き出して、「もう待ってる」と言った。 気が狂っている。送り迎えとは何だ。チェックインするところを見たいと言われた。チェックインするまで帰らないと言われたので公園で泣きながら身を潜めていた。会ったら何をされるかわからないと咄嗟に思ったから。 もう一つ。 新大阪のホテルは駅が近かった。降りてまっすぐ行くと貨物列車の線路があった。 それが本当に良くなかった。...

愚問

  なぜ友達と笑い合うことさえ叶わないのか なぜこんな強烈な不穏と戦わなければならないか なぜ私はこの今隣にいる知らない人間ではないのか なぜこんな記憶を保持していなければいけないのか なぜ普通になることが叶わないのか なぜ今たった一人で なぜ 答えがないことを知っている。何の意味もないことも知っている。 運命なんて存在していたらむしろ救われる。1番恐ろしいのはただ何の意味もない偶然の連続であるという可能性だと思う。 今受けている精神的ダメージが癒えるのはいつなんだろうと考える。 恐ろしい。 生きてていいと思えたあの数日が忘れられない。 覚悟して帰ったはずだった。 心のどこかで両親に期待していたんだろうか? こういう風になるに決まっていたのに? いまは、どこかでもう良いと思えるまで寝ていたい 電車の音が聞こえないところで ビルもないところで 食事もとりたくない 刺激が欲しくない 閉じこもってただ与えられるがままに服が着たい

懐古

  今日は神戸異人館をずっと散策していた。 今はマリアージュフレールティールームでこれを書いている。 こういった、何時なのかわからないような空間が好きだ。何時なのかわからない行為が好きだ。 古いものに囲まれてやっと世界を見つめてもいいような気がしてくる。 博物館等が好きかというとそうではなく、展示物のそれよりも、もっと身近な懐古趣味がある。 クラシック音楽をかけて、古い映画を流して、あるいは古い音楽機器で音楽を流して、歌いながら絵を描いて、時々紅茶を飲むような、なめたような人生の送り方が好きだ。好きなものは仕方ない。 絵の仕事についてふと考えていた。これからどうしていこうか。 体感として、良し悪しは別として今は絵が崩壊している、と思う。根本的な基本というものが消え去り、荒れ狂う精神でしかなくなった。今の状況から言って仕方ないことと思う。 でも一回更地にしたかったので案外願ったり叶ったりの流れではある。なんというか、近年の絵は納得していなかった。自白するなら、働くための絵だった。 時折感情の流れがうまく行き、特に非売の絵は素晴らしかったりしたけど、なんとも言えない守りに入った絵が多かったのではないかと思う。 とはいえ、今は荒れすぎている。自分で見ても胸騒ぎがするような絵たちになっている。身を任せるけれど、多分着地点はここではないと考える。 移住してからどういうふうに着地するか、かなり興味がある。自分自身に。 今欲求としてあるのは、懐古趣味と精神世界の掛け算のような構造。 どろどろに溶け合い、サイケデリクス的であり、その上でロマンチックであったらどうなるんだろう。 油彩に戻ってもいい。もうあんまり、急ぐように消費するように絵を描きたくない。 これに関しては考えなければいけないが、ギャラリーに所属することも辞めようかと考えている。 発送や取引のノウハウは手に入ったし、急ぐように描かないなら取引は大変ではないし、所属する意味がもうあまりないと言える。 ここだから書くが、私はギャラリーに作品の制限をかけられている。 そのまま引用するなら「過度なゴア表現を控えてください」というもの。 これからそういうものを描くのかわからないが、描かないかもわからない。 そしてなぜ、ギャラリーに従い描くのかわからなくなった。 話を戻す。 私は表現としてのアートも好きだしインテリアとしての...

保護

13日は1日を通して調子が良かった。 しかし12日の自分の調子の悪さから見て、1日にしてここまで切り替わったように元気になるというのが若干の不自然さを感じ不安になっている。 12日はひどかった。ずっとうずくまっていた。そして線路に入ろうとした。あまり思い出したくない。 あの街が嫌いになった。もう行かなくて済むならそうしたい。 少し逸れてしまった。 調子がいいことを手放しに喜ばないのは、ここ最近調子がよくなった後がくっと落ちることを繰り返しているから。 きっかけがあったりもするし、調子のよくなるきっかけもあることの方が多いけれど、本当に些細なものなのでいつそうなるのかわからない。 意味があるのかはわからないが、最近はあまり気分を上げすぎないように心がけている。落差に苦しむかなあと思うので。 今日は通院の日だったけれど電話相談にしてもらった。 何か言われるかと思ったがそこまで最近の行動については触れず、大丈夫ですかとだけ聞いてくれ、いいのか悪いのかは置いておいて楽な先生だなあと改めて思う。 あまり苦しいことはしないのだ。役に立つかどうかもわからないけど。 ただその先生にしては珍しく入院の話題を出してきた。 ホテルで生活することが辛くなってきたら、とのことだった。 とても難しい。まだ考えている。これは私が考えて決めることだろうから相談もしていない。 楽かもな、とは思う。鬱的な状態において死ねる環境というのはとてつもなく恐ろしいから。 自傷欲求も強く出ているし、どうなんだろうと思う。 ただ結構潔癖じみた思考をしているのでお風呂等がすごく不安なのだ。綺麗なんだろうか病院のそういった設備は。 食事も定食なんだろうか。定食があまり好きではない。白ごはんも。 とはいえわがままを言っている場合ではない気は薄々している。落ち込んでいた時の自分の行動を振り返ると正気とは思えない。 自分の精神が安定しないということはすごく厄介なことだ。

生存

  好きな歌、そのなかでも好きな歌詞がある。 " I'm gonna live like tomorrow doesn't exist Like it doesn't exist I'm gonna fly like a bird through the night, feel my tears as they dry I'm gonna swing from the chandelier, from the chandelier But I'm holding on for dear life, won't look down won't open my eyes" 私はアルコール中毒ではないけれど。 昔っからの希死を続けていたせいなのか、なんらかの原因があるのかわからないが、生命がとても脆く感じる。 生きる気はある。何とか戦おうとしている。 しかし消してしまったブログの方に書いたように、死がとても身近で気まぐれなものだと思っているから、生命にしがみつくようでは到底気が持たない。 明日なんてないみたいに生きる、下なんて見たくない、そうするとこういう人間になってしまう。 結局人生と対峙するのが怖いのだ。 人生とは、と論じられるほど頭が良くないので出来ないけれど、少なくともそれは世間と俗にまみれなければまともにはなれない。 まともという尺度を持ち出した瞬間己がどうなるのか、何故か知っている。 だからこそ、普通、まとも、から逃げ続けている。その自覚はある。 親は最近までその尺度を忘れていなかったようだけどよくやるなあと思う。 何故戦えない方向で戦おうとするんだろう。手遅れのものをつぎはぎして無理やり見れるものにしようとするんだろう。 どうせ人生など大した出来事ではないのに。 人生が大したことあると思っている人とはあまり話が合わないだろうなあと改めて思う。 全て同意するわけではないけれどニヒリズムさえ好きだから。 幼少期の私のやり過ごし方は「こんなこと宇宙の循環の中では一瞬の出来事だ」と思うことだった。 大いなる代謝の中に巻き込まれてるだけに過ぎないと。 そして近い未来、宇宙単位で見れば直ぐ、太陽さえ爆発して人類などいなかったことになって、全ての痕跡を消してくれる。それが唯一の救いだった。...

日記

  今日はものすごく調子が悪かった。 起きた時から最悪の状態を察知して、死なないためにすぐに睡眠薬を飲んで動けなくした。 だけど自殺に転がっていくような精神からは少し脱したような感覚がしている。今だけかもしれないが。 同じ底にいても上を見てるか下を見てるかでは行動も変わってくるものと思う。 昨日までは自ら落ちるような、惨めに思う行動をすすんでとっていたようだけれど、今は自分自身のケアを何とかしようとしているので、その点少し回復したのだと思っている。 とはいえ危機を感じる。なんというか脆すぎる。親からつけられたダメージ、特に二回目の脱走の時のショック状態から抜けきれていないと自覚している。 昨夜死のうと思った形跡が残っているがどうしてそうしようと思ったのか分からないのだ。 聴覚過敏がより一層ひどくなってもいて、町中のアナウンスが脳にこびりついて気持ち悪い。 今いる街はものすごく無機質だ。驚くべきほどに。 今の精神状態ではこの街にいることは難しい。 ビルを見ると落ちると死ぬ高さか考える。 電車を見ると飛び込んでみようかと考える。 道路を見るとふいに飛び出したら轢いてもらえるかと考える。 そしてそんな自分がとても忌々しい。 自分が疎ましくて仕方ない。

神様

  神様いるならどうか助けてほしい。 もう2度と悪いことなんてしない。 もう2度と不幸を望んだりしない。 もう2度と幸せを訝しまない。 もう2度と自由を恐れたりしない。 もう2度と戻りたいなんて言わない。 もう2度と自分が悪いなんて言わない。 もう2度と手放そうとしない。 全力で幸せへの努力をする。 最近誓ったばかりだ。幸せになると。 破ってしまったからだろうか。破ったんだろうか? どうか助けてほしい。どうか

幸せ

  私が見た幸せは、 両親への憎しみをひた隠しにして、自分が何なのかもう全くわからなくなって、何を考え何を欲しているかすら親の理想に浸され、やっと娘として認知してもらい、その状態で乗る車の中だ。 まるで愛されてるみたいだった。違うということを私だけが知っていた。 何か思っても口を閉じておくか、歌うかする。 時折訪れる無言、移り変わる景色が綺麗だった。 その時はきっと幸せだった。 あるいは。両親を初めて裏切って、散歩に出ている間に荷造りをして走って逃げて、そのまま飛行機に乗って家出した、数週間前のあのとき。 降り立つまで信じられなかった。きっとこんなことをしたら罰が当たって飛行機など落ちるのだと思っていた。 生かされていた。つけていたイヤホンから「私があなたといない時これまでになく幸せを感じる」という歌詞が流れてきた。 その通りだった。あの時はきっと幸せだった。 まだ涙する精神が残ってることに安心する。 今やろうとしていることがただの自傷であることにも安堵した。 ただひとしきり傷つけたあとに駅まで行ってみようかとも考えている。 飛び込むだけで全てが終わってしまうとは本当に奇妙な世の中に住んでいる、と思う。 幸せ。 心の底から幸せだと、あと一回でもいいから言いたい。 渇望が苦しい。乾いていることなど知らない方が良かったのかもしれない。 死ぬんだろうか。精神で死なないことは知っている。 ああでも、こんな忌まわしい土地に体を預けることは嫌だ。今思った。この土地に肉体を埋められるのは耐えられない。 我慢するしかないのか。

普通

  軽いパニック状態であることをはじめに書いておきたい。あまりにタイムラインを荒らすのも何だからこちらに逃げてきた。 色んなところで発言しているが、私は学校に行っていないし、会社に所属したこともない。 私は普通というものにしがみつくことは出来ないししていないと思っていた。 しがみついても痛いだけで、どうにも相入れないことは重々分かったことで、だから普通じゃないことが起きても好ましければ受け入れるし、対人においても普通じゃないなんて理由で弾くことはなかった。 でも最後の"普通"であり"世間"が私の中に存在していて、それにはしがみついていた事を今日自覚した。 それは親であり家庭だ。 捨てるのが、離されるのが、とても怖いのは愛着かと思っていたが、多分、普通だからだ。 たとえ歪であろうと、私が殺される環境であろうと、家族といることが普通だから選んでいた。 だから解放されてしまった今こんなに怖い。 あんなにも所属することや何かに従って生きることがうまくいかなかったのに。 大きな決断をしたわけでもない。情けないことだけれど今日したことは何の助言も受けずに10,000円程度の買い物をして数時間歩いただけ。それだけなのに本当に怖い。 私が帰ろうと思わなければ帰れなくて、私が買おうと思えば何でも買えてしまい、これはいったい何なんだろう。 こんなもの知らないので扱い方がわからない。誰か助けてほしいと思う。心の底から。 同時にこんなことさえ知らずになぜ生きてこれたのかもわからない。今までの自分が何だったのかもわからない。 上手くやれているのも怖いのだ。出来なければよかったとすこし思う。 新居のための小さな骨董品を集めて、ちゃんと吟味もして、駅に着いて、今帰ろうとしている。 上手くいっている。混乱する。1人では何も出来ないのではなかったんだろうか。まだ心の奥底では何にも出来ない自分がこっちを見ている気がする。 恐怖でしかない。 いままで檻に入れられていたけれど、たぶん鍵はいつも開いていたのだ。自ら入って鍵を閉めてもらい、次の日を待っていたのだと思う。 檻に入らなくても死んだりしないんだろうか。

  なんだか私は色んなことを勘違いしてたみたいだ。 いわば、生きることは修行か労働であり、自ら苦しんで生きづらくなって嫌なものを見て暮らさなければいけないと漠然と思っていた。 つい最近までそうだった。 生まれて初めて、家出して、私が忌まわしいと感じるもの全てから一週間離れた。 全くもって世界が違った。体感するところは気力の有無。無気力感に苛まれる頻度がものすごく低い。 まだ朝方は倒れていることが多いけれどそれ以外の時間ほぼ何かをずっとしている。強制されていないにも関わらず。 なにより、苦労しなくても、からだは生きているのだ。 これは私の中で革命的な出来事だった。罰さなくても苦しまなくても好きなことばかりしていても、死んだりしない。生かされている。 そして"忌まわしい"という概念も変わってしまった。 毎日我慢できるレベルだとしても、我慢と形容するならばそれは忌まわしかったのだ。 毎日ゆっくりゆっくり死んでいくような日々が人生であり生きるということだと信じていたが違うかもしれないと今は思っている。 本当はそうだったとしても、なんとか努力して違う何かを手繰り寄せられたりしないんだろうか、と思っている。 反対に、好ましいという概念も変わってきているのを感じる。 私は本当に美しいものが好きなんだと知ってしまった。目から入る情報はかなりを占めていて、それが荒んでくると気持ちが荒むのだった。 ものすごく率直な言い方をすると、例えば定期的に花を見るなりなんなりしなければいけないらしい。 私の中でメーターのようなものがあるようで、世間で淀んできたら美しいもので浄化しないと居るだけで荒んでくる。これは感覚的に確信した。 こうして書き連ねていくと母親の言う「社会では生きていけない」という言葉は的を得ていたかもしれないと思ってしまう。なんて難しい生き方を迫られているんだろう。 でも今日は死のうとは思わない。

  また愛について考えている。 ビジネス街のようなところのホテルにしてしまったから公園等で時間を潰せない。探せばあるんだろうけれど。 私が何かにつけてぶつかるのは「あなたは親に愛されているんだよ」という言葉である。 そう、私は一般的に見れば愛されているように見える。しかし実際のところ違うのだ。もうこの際だから、自傷かもしれないが紐解いてしまおうと思う。 まず前提として、両親は私を何かと勘違いしている。 こう言ってしまうとすごく怪しげな言葉になるが、もう少し噛み砕くと私の偶像を見ている。 その偶像が作成される過程はすごくシンプルで、"私自体"を暴言によって否定されたキーポイントが数回あった。 ある時は「普通なら良かったのに」という言葉で。 ある時は肩を掴み揺さぶって。  ここをあまりいじくり回しても仕方がない。 ただ、全力で私自体が現れるのを拒否して、病気だと言い、戸惑い尽くされたということ。 何度も何度も繰り返され、結果として「自我を出すとみんな悲しむ」という簡単な方程式が私の中に現れた。 私はさらに小賢しく、どの状態が一番愛されるか探った。結果的に、幼稚で、明るくて、よく笑い、難しいことはわからず、何もかも任せきりの、幸せそうな子供になりきることにした。可能な限りは。毎日毎日、内側で何が起ころうと。 死にたいんだとネットに書き込みその足で母に笑いかけに行くことなんてよくあることだった。 ここまで書いてみて思う。その子が愛されないわけがないだろうと。 愛される要素と愛されない要素を分析して、器用にやってのけたんだから、分析が間違えてない限り"その子"は絶対に愛される。ただの茶番とまで言える。 "その子"が愛されている様が世間から見ると娘が愛されているように見えたのだ。 もう少し掘り下げようと思う。"その子"は私ではないのかどうかだ。 結論から言うと私ではないだろうと思う。 今、「どんな娘でも娘は娘です」と言われたことを思い出している。 そんな綺麗なことあるはずがないのだ。 世界は、観念が全てだから。思考が全てだから。 思考から生まれた言葉はその人だけれど、計算された演技から生まれた言葉はその人ではない。 むしろ、徹底して自分を隠すように仕組まれた観念なのだから、徹底して自分ではないと言っ...

祈り

家から再び出て、また感情の洪水に苛まれた。 あれだけ自分を押し込めない、押し殺さないと誓ってもどうしようもなかったということだ。 そもそも自我がとても震えているので錯乱した状態に自らを陥らせるのが怖かったのかもしれない。 1日明けて、ホテルが満室だったので適当に替え、そうするとチェックインとチェックアウトの時間の問題で5時間ほど放り出されてしまう。今はその暇つぶしに書いている。 祈り。今を、過去を直視しても虚しいだけと分かったのでただ未来に思い馳せることにした。 ともかく自分で身の回りの世話を出来るかが最大の問題にしても、もし仮に何の滞りもなく、私がやっていけるとしたら。 もうそれだけで良いのだけど、もし好きなものを少しずつ何年もかけて集める生活が出来たらどんなにいいだろう。 家具は難しいかもしれないけど、ティーポットのような小さいもの。私は昔からアンティークが好きだ。 急かされるように身を滅ぼすように八つ当たりのように買い物するのではなく、一つ一つ吟味して素晴らしいひとつを大事に大事に持っていたい。 いつまでも絵で稼いでいけるとは到底思えないが、無謀なのだろうが祈らせてほしい。私の呼吸であり稼げる手段だから。 今考えるべきなのは初期の最低限の家具だろう。 ベッドと絨毯と食事スペース。 (ここからは私の細かい趣味の話で、もはやメモなのでもう読まなくて良い) まあアンティーク品は基本的に好きだけれど一番好きなのはカントリーテイストの素朴かつ少しだけ装飾的なものだ。 例えばロココは少し豪奢すぎると言える。 俗に言うプリンセス家具、それこそ天蓋付きベッド等は少し違う。 ベッドの理想で言うなら禿げた茶色の木材の装飾的なベッドフレーム、シーツは真っ白で良い。レースがあると完全な好みに近づくけれど。 このようなことを考えていると今は一番楽だ。いつでも夢想が自分を助けてくれる。 叶うんだろうか。祈っていようと思う。 そうして初めて自分を殺さなくて良かったと思える。

思考羅列

 「統合失調症発症ということは考えられますか?」 「さっきまで楽しそうにしてたじゃないの」 「なんで?なんで?」 「いきなりすぎて意味がわからない」 「愛されていると分かっていたらそんなことしない」 「向き合えてなかったごめんな」 「遅くない」 「近くまで来ている」 「私は話しかけられるの待ってたのに」 「薬の副作用ということは考えられないでしょうか」 「お母さんはお母さんの人生を探してもらいましょう」 「もういいんじゃないかな、楽な方楽な方をとるようにして」 「理解するには一生かかるだろうから今現在ではもう折り合いはつかないよ」 「もったいないよこんなことしたら」 ぐるぐる。 今のこの気持ちは何だろう。全く分からない。何かに話していないと、それがブログという一人遊びでもいいから話していないとどうにかなりそうだ。 書き連ねていると少し安心する。しかし感情の正体が掴めない。 まだ殺意のほうが掴める。殺そうかなと嫌に落ち着いた気持ちで刃物を買っていたときの方がまだ感情はわかりやすい。 今のこれは何だろう。一体何が起きたんだろう? ショックだったんだろうか。ここまで来ても全て妄想と思われていることが。 そして、観念が世界を占めているという意識のもと、それを言われてしまうと世界を懐疑しなければいけなくなるので恐ろしい。 妄想。 時折何をされたのかさえ分からなくなる。 過去のことが許せないんじゃない。私を殺しながら生きていることが許せない。 絶望的にここが伝わらない。いや、伝えるのを諦めたばかりではなかっただろうか。 感情と思考が分断されている。 さっきは父親の収入の心配などしていた。もう良いのに。 鬱になっていると聞いて心配した自分すらいた。なぜなんだ。もう諦めたい。何もかも無理だったと理解したんだから。絶望したんだから。 察しがついていながら試したのだから。その上でその感想を、この上なく率直に読ませたんだから。その感想が「病気では?」だったんだから。 もう、おしまい。親なんていないと思う。そうか、これは親を失った孤独なのか。結局頼らされていた自分がいよいよ孤独になったのか。 むけていた感情をどこにむけたら良いのかわからないのか。 不思議と死にたいとも思わないのだ。生きるための渇望で焦っている。 罪の上で生きるのが怖いんだろうか。でもそんなものあってないようなものだ...

転生

  前のブログは親に見せたので使えなくなった。 探されたわけではない。自ら見せてみた。もう終わりだと泣き叫んで出てきた時点でもう私の中で終わったのかと思っていたがまだ終わりには段階があったらしい。 "分かってくれない"ことを理解するために、それを身に染みて感じたいからこそ見せたのだと、これは自傷だと自分に言い聞かせていたが、やはりそこには期待の色が少し滲んでいたのだ。 読ませた結果は「娘は統合失調症になったのかもしれない」という反応だった。 家出してからというもの親に対する殺意は身を潜めていたのだが破裂したように大きくなった。 やっぱり期待していたのだ。どこかで。あれを読みさえすれば、何が悲しいのかわかるだろうと。何をしてきたのか、何を行なったのか、分かってくれるだろうと。 気持ちよく裏切ってくれた。親は親だった。 まず刃物を持って小1から中3まで見てくれていたカウンセラーの元へ行った。 なんとなく、もしこの人さえ分かってないならこの人も道連れだと思った。この窒息するような環境を作り上げたのはこの人かもしれないと思った。 結局のところ真相は分からなかった。信じるには都合が良すぎるので。 でも悪魔の証明じみたこともする気はないので、もういいと思った。 少なくとも、作った声ではなく、心の底から「殺してまで親に人生を捧げたらもったいない」と言ってくれたから、もうその言葉を愚直に飲み込むしかなかった。 暇つぶしに腕を切っていたので少し痛い。帰りにろくに食べてないことに気づいたので昔好きだったパン屋に寄ろうとしたが閉店していた。 本当にたくさんのことが起きている。 今までが嘘のように全てが済んでいく。