生存
好きな歌、そのなかでも好きな歌詞がある。
"I'm gonna live like tomorrow doesn't exist
Like it doesn't existI'm gonna fly like a bird through the night, feel my tears as they dry
I'm gonna swing from the chandelier, from the chandelier
But I'm holding on for dear life, won't look down won't open my eyes"
私はアルコール中毒ではないけれど。
昔っからの希死を続けていたせいなのか、なんらかの原因があるのかわからないが、生命がとても脆く感じる。
生きる気はある。何とか戦おうとしている。
しかし消してしまったブログの方に書いたように、死がとても身近で気まぐれなものだと思っているから、生命にしがみつくようでは到底気が持たない。
明日なんてないみたいに生きる、下なんて見たくない、そうするとこういう人間になってしまう。
結局人生と対峙するのが怖いのだ。
人生とは、と論じられるほど頭が良くないので出来ないけれど、少なくともそれは世間と俗にまみれなければまともにはなれない。
まともという尺度を持ち出した瞬間己がどうなるのか、何故か知っている。
だからこそ、普通、まとも、から逃げ続けている。その自覚はある。
親は最近までその尺度を忘れていなかったようだけどよくやるなあと思う。
何故戦えない方向で戦おうとするんだろう。手遅れのものをつぎはぎして無理やり見れるものにしようとするんだろう。
どうせ人生など大した出来事ではないのに。
人生が大したことあると思っている人とはあまり話が合わないだろうなあと改めて思う。
全て同意するわけではないけれどニヒリズムさえ好きだから。
幼少期の私のやり過ごし方は「こんなこと宇宙の循環の中では一瞬の出来事だ」と思うことだった。
大いなる代謝の中に巻き込まれてるだけに過ぎないと。
そして近い未来、宇宙単位で見れば直ぐ、太陽さえ爆発して人類などいなかったことになって、全ての痕跡を消してくれる。それが唯一の救いだった。
今までの人生ずっと欲がなかったのか、まともになろうとした事がないのかと言われるとそれは違う。
今は消え去ってしまったけれど成功には固執していた。
何故かはわからないけど、消耗品になりたかった。
華々しく成功して華々しく終わりたかった。
今はあんまり思っていない。家出してからのことだ。
そもそもあれは自分の考えだったのかとすら思う。成功してやりたい事、一つもなかったのだから。私にはお金は必要だなあと思うけれど。
ついでに成功なんて運の要素がとても大きくて、もちろんやり続ける事は大事だけれど、成功ありきでやっていたら持たないとも知っている。
生きるというテーマで書いているとバラバラになってしまう。まあこんなところでくらい綺麗にまとまらなくても良いかと思うけど。
死ぬことにも失敗して、約束もして、いよいよ生きることになった。
かと言って、長期的な目的は無くなってしまった。
こうして書くと生きるために目標を立てていたのではと自覚する。
今は、いつか、あんなところに行ってみたい、あれが欲しいかもしれない、こんな話をしてみたい、こんなことしてみたい、というものだけ。
ものすごくシンプルな生きるということを目にしている気がする。
どうなっていくのだろうともあまり思わなくなった。どうにでもなるんだろうから。
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