斜陽
ただ一切は過ぎていきます。
人間失格の好きな言葉。引用したわけじゃないから表現が違ったかもしれないけどこの形で染み付いている。
余儀なくされたとはいえこんなに長く休んでいたことあっただろうか。無いと思う。
私は6年前にかなり強い発作性の目眩を発病したのだけど、(耳鳴りだけを残して治った) その時でさえ這いつくばって描いていた。本当に。
あるいはベッドサイドに水彩絵具と紙を置いて起きられることを確認したらすぐに描いていた。
その頃の絵は残っていたり残っていなかったりするのでとても勿体なく思う。特にノート丸ごと一つ無くしたようなのだ。
その頃は本当に地獄みたいだった。病院に連れて行ってもらえなかったので。
どういうわけか目眩が家の中でタブーになっていたので眠たいということにしてベッドとリビングを行ったり来たりしていた。
母はブログ等に私の目眩について書いていたので知らなかったわけではないのだけど、どういうわけだかタブーになっていた。お互いそのことを口にしなかった。
強く罵られたから何も言えなくなったのだが、表面上隠さなければならないとなると目眩に対する恐怖は増すばかりだった。
ふらつくだけなら良かったのだけど、本当にあの時は立てなかった。左に体が引っ張られてそのまま地面に吸い込まれる。ベッドにいても体勢を変えるとものすごく気持ち悪かったのでただ上を向いて顔を動かさないようにしていないとならなかった。
そしてそれは前触れもなく急にやってくるので、一番ひどい時は目眩がなくてもベッドの上でそれが起きるのを待っていた。
それが覚えてる限り1年ほど続いた。
長くなった。その時さえこんな長く休んでいた覚えがない。
目眩発作は2時間くらいだったのでその間を縫って描いていた。
載せてもいなかったけれどとにかく描いていろんなところに飾って、その時間が好きだった。
今もデジタルの仕事を進めてはいるがたのしいのであんまり勘定に入らない。
今気づいた。別に休んではいなかった。無理をしていないだけで。
ともかく、無理をしないということが自然にできているのですごく感動している。
相変わらず不安心は持ち合わせているけどそれでも穏やかだ。毎日焦るような感じがないのでとても楽に居ている。しみついた"しなければならない"が少しずつ剥がれてきた。こんなに楽で生きていて良いのかと思うほど。
斜陽に置かれたものだということは知っている。多分本当にしんどいのはここからだ。
25日に入居して、その後家具を用意して、なので10月からそれが始まるに違いないと思っている。
でも期限のある幸福も別に嫌いじゃない。それに、それも期限のある不幸であることを期待している。
ふとした時に母親の声で「急すぎるから」「ついていけない」と聞こえる。
私も言っているんだと思う。
時間の感覚がすごく変で、ここ2ヶ月本当に色々あり過ぎた。今でさえそう思っているからぶり返しが本当に怖い。
なるべく動けている今のうちに必要なものを全て選別して準備しておきたい。
少し気持ちに陰りが見えるので警戒しているけど、こうして警戒できるようになっているのがすごい進歩だと思っている。
結局、自分で言うにしても酷だけど、自分の機嫌を取ることが全く出来ていなかったんだと自覚した。
もちろん行動制限があり監視下にありでは叶わなかったにしても、それでも自ら憂鬱に飛び込んで死を感じるまで放置するその一連の流れが自傷だった。
今はそんな場合じゃないので必死で自分の機嫌をとっている。
自己管理を少しずつ身につけていくんだと思う。そうでなければいけない。
まず心からであって周りのことまで皆んなみたいに出来るのはいつになるんだと思うと気が遠いけれど、それでも心に対して少しずつ出来ているのは悪い傾向じゃない。
こんな状態で放り出されることは本当に不安だけれどそれでもこうしてよかった。
また今みたいな気持ちに戻れるのがいつになるのかわからないけれどこうして書き残しておけば思い出せるはずと思う。
また絶望するんだろうか。
今私に絶望を呼び起こす一番のワードは「やっぱり檻の中じゃないとだめだったのか」ということ。
檻の中が正当化されること。
前のブログに入院してでも生きていれば良いと書いたけれど例えそうなったら入院中は気が気じゃないだろうな。だから避けたくはある。でも多分ものすごく惹かれてしまうだろう。
結局呪いはまだとけていないし、一生とけないかもしれない。
今気づいたけれど離人感というものがガタッと減っている。
本当の離人症というものがどういう状況下から引き起こされるのか私は勉強不足なのでわからないけれど、私に起きる"それ"に関しては抑圧が大きな原因だったのかと感じる。
あまりにも自己像を見つめる時間がなかったからなのか。したくもないことをして、言いたくもないことを言って、関わりたくない人と関わって、本当に生活まるごとが自傷だったと自覚している。
これを言うとすごく非難されそうだけど本来の私は名声等にあまり興味がないことを知ることができた。
前までは、足りないだけかと思っていた。少なからず、本当にちょっとだけ片鱗を与えられて、それに何の癒しも満足も得られなかったのは足りないからではなくて違うからだった。
出ていく前、どんどん離人感がひどくなっていたし、希死念慮も高まっていたけど、その時の私の疑問は「予定も仕事もあるのになぜだろう、将来も見えてきているのに」だった。
今なら簡単にわかる。欲しい将来の形じゃなかったから。
散々言われた無職やら不登校やら落ちこぼれやら、そういう世間の目から逃げる手段として画家としての成功を願っていたような、対処療法のような願いではおかしくもなるのだと思った。
だって成功してやりたいことなどほとんどなかった。
折角だからなぜ全くとは言えないのかも書いておこうと思う。
私の絵が何かに使われること、それは心の底から好きだから。音楽や物、私の想像のつかない何かに関わらせてもらえている人は心の底から羨ましい。
体感してみて好きだった。Miliという素晴らしいグループだからこそなし得た体験だった。
ただ、その後も何件か音楽類の依頼は来ているけれどどれも話が合わなくてやめてしまった。
私の絵をねじ曲げて使うような魂胆も好きじゃない歌に無理やり合わせることも出来ず、やっと心が動く歌を持ってこられたら持ち逃げされて散々だった。
つまり前のような体験をするためには名声が大きく関わるだろうから、全くとは言えない。
でも、届かない憧れとして押さえ込んでいくのは全然不可能じゃない。こればっかりは一人では叶わないことだし、あと一回人生の中であれば良いなとは思うけど、そのくらいの気持ちなら何も名声まで掴みにいく事はないと冷静に考えて思った。
諦めなんだろうか。
神戸の街のどこかに座ってこれを書いている。
ホテルのチェックインまでの時間何も出来ないから。
神戸がより一層好きになった。ここに一時滞在する決断は間違っていなかった。
細々とした建物と自然に、場所を選べばビルも見なくて済むし、山と海がある。
古いものがたくさんある。
逃避行にしては長すぎるけどその場所にここを選んで良かった。
一人旅をずっとしてみたかった。こんなにもう良いと思うくらい体験できると思わなかった。
それでもなお一切は過ぎていくばかりだから本当に不思議だと思う。
カプラさんのここ数ヶ月の生き方は、私には到底真似できないほど1日1日が「生きている」そのもので。
返信削除どれだけ不安なのだろうと、
どれだけ恐ろしかったのだろうと、Twitterを見ながら考えていました。
でも、私は所詮ネットの人間、貴方の苦しみを汲み取って住居を提供することもできません。
しかし、それは違ったのですね。貴方はすごく今安堵に満ち溢れているのですね。
どれだけ家族との時間が貴方を苦しめていたのか、分かりました。
本当に良かったです、カプラさんは、カプラさんの幸せの中で生きてください。
コメントありがとうございます!!とても嬉しい…見てくださっていることも嬉しいです。ありがとうございます。
削除恐ろしさもあります。到底今までの人生では考えられないことが一斉に起こるものですからあまりついて来ないのです。
安堵も幸せもこの先にあることを願っています。コメントありがとうございます!!