能動的な生
私はとても自分に甘いと思う。 結局、私の場合死に向かおうとするのも楽だからにすぎなかった。 生きようとする、特に一人で生きようとする形に上手くなりきれないから、かといって一思いに死ぬことも出来ないから、転がり込むように、ただ自分をひたすらに悪化させることだけをしていた。 前までの感覚として興味深い感覚が一つある。 自ら憂鬱や離人感の海に飛び込むような感覚だった。 敢えてひどくなる行動を繰り返して、敢えて嫌なことを思い出して、敢えて描きたくない絵を描いて、それの目的は自己を破壊することだった。 破壊したら死ねると思った。理性が吹き飛ぶ瞬間を心待ちにしていた。 それでも私の理性が案外強くてなかなか破壊できなくて、それでも日増しに酷くなるからそれを喜んでいた。 よく考えたら一転して生きようとしているのだからめちゃくちゃに難しいのも仕方がないのかもしれない。 罰だと思う。自分と人生を蔑ろにした罰。今受けている。たぶん年単位で続くことと思う。 いまは"生きること"を全身で受けなければいけないことが怖い。 でも覚悟できたことが嬉しい。すごく長かった。 なんとなく生かされて死にゆくのではなく能動的な生きるとはどんな色をしているのか知りたい。