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能動的な生

  私はとても自分に甘いと思う。 結局、私の場合死に向かおうとするのも楽だからにすぎなかった。 生きようとする、特に一人で生きようとする形に上手くなりきれないから、かといって一思いに死ぬことも出来ないから、転がり込むように、ただ自分をひたすらに悪化させることだけをしていた。 前までの感覚として興味深い感覚が一つある。 自ら憂鬱や離人感の海に飛び込むような感覚だった。 敢えてひどくなる行動を繰り返して、敢えて嫌なことを思い出して、敢えて描きたくない絵を描いて、それの目的は自己を破壊することだった。 破壊したら死ねると思った。理性が吹き飛ぶ瞬間を心待ちにしていた。 それでも私の理性が案外強くてなかなか破壊できなくて、それでも日増しに酷くなるからそれを喜んでいた。 よく考えたら一転して生きようとしているのだからめちゃくちゃに難しいのも仕方がないのかもしれない。 罰だと思う。自分と人生を蔑ろにした罰。今受けている。たぶん年単位で続くことと思う。 いまは"生きること"を全身で受けなければいけないことが怖い。 でも覚悟できたことが嬉しい。すごく長かった。 なんとなく生かされて死にゆくのではなく能動的な生きるとはどんな色をしているのか知りたい。

呪い

  用が済んだので今日が大阪最後の日だ。家はまだ準備できていないけど北海道のホテルに泊まることになる。 これが終わりじゃないことは分かってる。むしろ始まるから覚悟しなければいけない。 支配についてすごく考えていた。 ここから書くのはこれは私の未成年の頃の話なので、書く必要があるのかわからないけど、私を見てくれている未成年の子に同じ目にあってほしくないと心から思うので書いてみる。 親と不仲の時があった。今よりはマシだったけれど、病院に連れて行ってもらえなかったことや、罵られたことで完全に心を閉ざしていた。 親は発狂寸前という感じで家に居場所がなく、ネットの匿名サイトで寂しさを紛らわしていた。(2ちゃんねるではない、もう少し治安の良い掲示板サイト) そこは、ここからまず大問題なのだが、私のような問題を抱えた未成年と、未成年好きのおじさんの集まりだった。出会いは禁じられていたけどほぼ無法地帯で、散々TwitterやらLINEやらの交換が行われていた。 なぜ問題のある未成年が狙われるか。生理的嫌悪や世間体を無視してでも寂しさを紛らわせようとしてしまうから。かつ、虐待を受けている子は親の代わりになりそうな人を心理的に求めてしまう。それに"下心を持ったおじさん"はピッタリだったりする。 私もそのひとりだった。 あまり詳しく書きたくはないので軽く書くけれど、とても奇妙だったのが、性的な要求はしてこなかった。数回匂わせるような発言があったし顔写真をしょっちゅう要求してはいたけれど。 それより問題だったのが支配。 今ならどれだけおかしいことなのかわかるのだけど、何か起きるたびに言わないといけなくて、後から言うと「なぜ言わなかった」と怒るのだった。 何か起きたらすぐに言えと教え込まれていた。 今何してるか、どこに行くのか、いつ寝るのか、2時間でも返事があくと怒られた。 異様そのもので、こんな人に誰が引っかかるのだと思うだろうけど、私のように親の支配に慣れているとこの程度の支配でむしろ安心してしまうので、面倒くさいなあと思う程度だった。 面倒くさいなあと思いつつやってしまうのが異質なところだった。 読んでくれてる子がいるかわからないけど、未成年の特に女の子は、そして心に問題を抱えているのなら尚更、ネットと下心に気をつけて………一時的な寂しさの緩和の代償にしては大きすぎ...

支配下

  体と心が支配下に戻ろうとする。 いろんな感情を食い潰すようにひたすらに管理下に居ようとしてしまう。 昨日書いた罰が始まった気がする。思ってたよりはやく訪れた。 頭が全く回らない。脈も遅い。永遠に眠れる。 帰りたいとは思っていない。ただ今までの愚行を考えていた。 もう支配下 管理下にいること以外での安寧を得られないのだろうか?そういう脳になったのだろうか? 早かったんだろうかと思ったけれど、その観点から行くと遅かったんだろうか。 安寧は訪れないんだろうか。この先。 1人で立つことは可能なんだろうか。 無気力に苛まれている。 自分の愚かさを思い知った。どれだけ叩き込まれているか。 頭を支配している「お前は1人じゃ生きていけないよ」って誰の言葉なんだろうか。

自己像

  気分の波に説明がつかないと思っているのは他人だけだ。私の中にはちゃんとした理屈も流れも存在している。これを経験してなお同じように行動するのならそれこそ化け物だと思っている。結局化け物ではあるけど。 医者のカルテにあった「全てを親のせいにしたがる傾向がある」という言葉を思い返して笑っていた。あの人を信じていた時間があったのが馬鹿みたいに思える。 例えばこういう時ばっさりと自分の中で期待や信頼が途絶えるけれどそれが極端だと感じる人はだらだらとその人に期待するんだろうか。少なくとも期待しているような行動を取るんだろうか。 心が伴わなくても行動だけでも切ってしまおうとしないのはなぜなんだろう。その人はもう私にはいらないのに。 親のせいにしたことは今までなかった。ただ、純粋にこういうことを言われた、こういうことをされていると伝えることが「親のせいにする傾向」なんだったとしたらどれだけ虐待が減るんだろう。 もう顔も見たく無いのだけど明日見に行かないといけない。 もうどうしようもないところまで自己がどろどろに溶けていたら環境が変わっても無理なのではないかと少し危惧している。 久々に自分自身を垣間見たのでとても気分が悪い。日頃から見抜いてる人気分悪くないんだろうか。 世間の人間に私のできうる限りの綺麗を提供する意味について考えてしまったらもうどうしようもなかった。笑った方が反応がいいので笑うことにして、意見は言わないで、相手を持ち上げて、共感して、そうやって世間にしがみついてどうにか悲願するようにしてついて回る意味って何なんだろう。 愛された気がするんだろうか だとしたら救いようのないところが増えることになる。 正式に診断されていないものの私をよく知っている人たちが境界例じゃないかという話を否定しないのでその傾向にあるんだろうとぼんやり考える。 死亡率高いやつばっかり集まるね。結局自分の精神に殺されるんだろうか どうせそこまでいけないことも何となく察しがついている。 今度はどう感じているのかしつこく聞くからやっと絞り出した「死にたい」に「色々買ってあげたのに」と返ってきた夜のことを思い出している。 本当に、死にたいなんて考えたことのない人間のセリフだと改めて思う。一ミリたりとも思ったことがないんだろう。 私はそんな人間の方が恐ろしい。こんな世の中なのに。 そしてそうやっ...

近況2

  なんだか急に物事が進んだので書いておこうと思う。 住居が用意されるのは25日だけれど、引っ越しの手配は宅急便で何とか出来そうだということが分かった。 家具も今日用意した。服はもう揃えてある。 そうなるともう大阪でやることは実家周辺でのちょっとした作業と梱包作業だけになる。 渋っていても仕方がないので明日実家に帰って全てを済ませ、手荷物の整理をして、書類が届き次第神戸から北海道へ行こうかと検討している。 詰まっていたものが急に動き出すので混乱する。まだホテル暮らしは続くけれどでもこの地に居なくてもよくなる。 長かった。本当に。 出来るだろうか。明日が急に忙しくなった。 電車乗れるだろうか…パニックを起こしたのでその日から乗っていない。 でもあともう少しと思うと楽になる。 今日出来ることはもう無いので大人しくしてようと思う。

斜陽

  ただ一切は過ぎていきます。 人間失格の好きな言葉。引用したわけじゃないから表現が違ったかもしれないけどこの形で染み付いている。 余儀なくされたとはいえこんなに長く休んでいたことあっただろうか。無いと思う。 私は6年前にかなり強い発作性の目眩を発病したのだけど、(耳鳴りだけを残して治った) その時でさえ這いつくばって描いていた。本当に。 あるいはベッドサイドに水彩絵具と紙を置いて起きられることを確認したらすぐに描いていた。 その頃の絵は残っていたり残っていなかったりするのでとても勿体なく思う。特にノート丸ごと一つ無くしたようなのだ。 その頃は本当に地獄みたいだった。病院に連れて行ってもらえなかったので。 どういうわけか目眩が家の中でタブーになっていたので眠たいということにしてベッドとリビングを行ったり来たりしていた。 母はブログ等に私の目眩について書いていたので知らなかったわけではないのだけど、どういうわけだかタブーになっていた。お互いそのことを口にしなかった。 強く罵られたから何も言えなくなったのだが、表面上隠さなければならないとなると目眩に対する恐怖は増すばかりだった。 ふらつくだけなら良かったのだけど、本当にあの時は立てなかった。左に体が引っ張られてそのまま地面に吸い込まれる。ベッドにいても体勢を変えるとものすごく気持ち悪かったのでただ上を向いて顔を動かさないようにしていないとならなかった。 そしてそれは前触れもなく急にやってくるので、一番ひどい時は目眩がなくてもベッドの上でそれが起きるのを待っていた。 それが覚えてる限り1年ほど続いた。 長くなった。その時さえこんな長く休んでいた覚えがない。 目眩発作は2時間くらいだったのでその間を縫って描いていた。 載せてもいなかったけれどとにかく描いていろんなところに飾って、その時間が好きだった。 今もデジタルの仕事を進めてはいるがたのしいのであんまり勘定に入らない。 今気づいた。別に休んではいなかった。無理をしていないだけで。 ともかく、無理をしないということが自然にできているのですごく感動している。 相変わらず不安心は持ち合わせているけどそれでも穏やかだ。毎日焦るような感じがないのでとても楽に居ている。しみついた"しなければならない"が少しずつ剥がれてきた。こんなに楽で生きていて良いのかと思うほ...

錯綜する

 少し忙しかった。しばらく書けそうにない感情に苛まれていた。特に悪いものではないので割愛する。 相変わらず聴覚過敏がひどくなったままだ。 でも精神状態は最悪のところから持ち直した感覚がしている。気のせいなんだろうか。他者から見るとまだ錯乱したようなものなんだろうか。 もし仮にそうだとしてもそれが私の核であるとしか言いようがないと今思った。 取り繕うことに長けているだけで中身はめちゃくちゃに入り乱れて、保つこともできずに震えて倒錯すらしているのが実体と最近知覚した。 自死に向かおうとしたり体を傷つけたり諸々の事も今までの抑圧からの反動であり決してストレス反応ではないのかもしれないとも思った。 25日に家が手に入る。今日は引っ越しの手続きを進める。 いよいよ一人になる。いろんなことを考える。 まあ今も一人だけど。 ぐるぐるに考えさせられてひたすらに憂鬱になり死を感じて、今は逆に静まり返っている。 全身でぶち当たったのは間違いじゃなかったのかもしれないと今やっと思える。 この長い時間になんの意味がと考えていたけど多分今までの自分との決別の時間であったと思う。 完全に切り離すため。まだ揺れるかもしれないけど、それでも過去と今はもう別なんだと脳に理解させるためのしきり。 色々と難しく考えすぎていたと思う。今は少し楽観している。 もう、何か思われることはないのだから、思われたとしても知ることはないであろうと思うから、それならもう生きてさえすればいい。 めちゃくちゃになっても仕方ない。生きる能力がないのだから覚悟している。 またホテルで世話してもらっても良いし何だったら入院させられてもいい。生き延びさえすればまた絵が描けるから。 もう生き延びること以外考えなくてよくなる。あともう少しで。 実体について考える。これに関しては複雑なので理解されるか難しい。 抑圧され指示され矯正されて安全な無害な大人しい何かになりきることができていたのだから、そのままいるのが安全ではないかとふと思った事もあるけど、結局私は自分を愛しているから、あるがままの姿を見たいと渇望している。 それが所謂普通から遠ざかり病気の形であろうと、隠され奪われしてきた自己像というものにとてつもない関心がある。 描くのも結局そこからきていると思った。自分を垣間見るのが好きだった。 醜くぐちゃぐちゃの自己像を美しく昇...